第1回ジプシー・シンポジウム参加記

佐 藤 雪 野

  2005年3月4日、5日の2日間、東京のオリンピック記念青少年センターで第1回ジプシー・シンポジウムが開催された。主催はNPOジプシー支援会議NPO ROMAFEST JAPAN)で、NPO民族文化青年交流支援会議ポルカ(NPO POLKA)が共催した。野村国際文化財団の助成を受けたものであった。二つのNPOは、長年にわたり、東欧の民族舞踊・民族音楽を日本に紹介してきたフォルクロールレポート社の増永哲男氏が中心となった組織で、前者は、毎年ルーマニアで開催されているロマの祭典ロマフェストの支援を行い、後者は、日本への東欧民族舞踊や舞踊団の紹介、普及を図っている。 

 二日にわたるシンポジウムのプログラムは以下の通りであった。 

3月4日(金)オリンピック記念青少年センター(NYC)小ホール

@16:00 ジプシー文化と生活の研究調査発表報告会
A19:00 ROMAFEST コンサート 

3月5日(土)NYCカルチャー棟42号室

B10:00 D14:00 ジプシー・ダンス講習会 

3月5日(土)NYCカルチャー棟41号室
C11:30 増永哲男ジプシー報告会"ロマフェストのジプシーたち" 
E16:00 生音で聴くスーパーマイスター、ヤコブ・アティラ・ライブ

F19:00 唄と踊りとサイブゥグゥ、サースチャバシュ・ライブ

3月4日のジプシー文化と生活の研究調査報告会では、5人の報告者の報告が行われた。時間の制約から、質疑応答・討論の時間はほとんど取れなかったのが、残念であった。

最初の論者は、「日本ロマ研究−非営利・非政治的なロマ/ジプシー研究サイト− (http://www.romani-studies.jp)」を主催する松山哲博氏(帝京大学大学院)で、論題は「ロマ民族に対する誤謬と社会的概念としての『ジプシー』」であった。氏は、アジアで「ロマ/ジプシー」と呼ばれている人々の中には、紋切り型の「ジプシー 像」を根拠に、政治的・商業的に利用されている「遊動民」を紹介した。例えば、民族的には「ジプシー」とは縁のない人々が「海のジプシー」と命名され、旅情をかきたてる道具とされている例があげられた。それにより、氏は、「民族的ジプシー」ではない「社会的ジプシー」の存在を指摘した。

次に、岩谷彩子氏(京都大学・日本学術振興会特別研究員)は、「語られない死と語られる夢インドの移動民ヴァギリの事例より」という論題で、インドの移動民社会における死の問題を論じた。彼らの社会においては、死者の弔いは大々的には行われず、残された者は、死者のことを余り語らない。死者が現れた夢は悪夢として、儀礼が必要になる。氏自身がもたらした写真をきっかけとする夢見の結果、氏はその写真を破棄せざるをえなくなった事例など、フィールドワークに基づいた貴重な具体例に富んだ報告であった。

フリーライターの早坂隆氏は、「マンホールで出会ったロマたち」という論題で、著書『ルーマニア・マンホール生活者たちの記録』でも取り上げられたルーマニアの首都ブカレストのマンホールで暮らすロマの子供達を、写真を交えて紹介した。2001年頃のことであるというが、マンホールで、温水配管の熱で暖を取りつつ冬を過ごすなど、壮絶な暮らしぶりである。また、この子供達は、孤児院でひどいいじめに遭って逃げてきてマンホール生活に至った例が多いようだ。早坂氏との交流で、生まれて初めて誕生日を祝ってもらい、バースデー・ケーキを食べることができた少年もいた。

音楽ジャーナリストの関口義人氏の論題は、「ルーマニアのジプシー楽士たち」であった。早坂氏が紹介したロマとは一転して、大邸宅に住み、宝飾品を身につけ、富裕な生活を送るロマの集落が紹介された。富裕なロマは、商業取引により富を得た者と、伝統的な音楽の才能を生かして富を得た者が代表的である。現在、ワールド・ミュージックのブームの中で、ロマの音楽は世界中で注目されているが、氏の報告はロマのブラスバンドなどを、写真と音声を用いて紹介したものであった。2005年5月に、日本で初来日公演を行う予定のマハラ・ライ・バンダも紹介された。

最後に筆者が、「チェコのロマの歴史と現在」という論題で、チェコのロマの歴史と現状を、多数派の人々との関わりやロマに対する政策の変遷から解説した。現状については、特に、ロマと多数派の人々の相互理解のための試みを紹介した。(筆者の報告の詳細については別添資料を参照。)

 

 続くROMAFESTコンサートは、二部構成で行われた。1999年から始まったルーマニアのトランシルヴァニア地方で始まったロマフェストは、ロマの音楽と舞踊の祭典として、その後毎年ティルグ・ムレシュ(地名・人名等の表記は主催者の表記に従った)で続いている。今回の踊り手達ロマフェスト舞踊団は、そのロマフェストの舞踊コンテストで優秀な成績を収めた踊り手を選抜して構成したものである。その多くは15歳前後のまだ中高生の年齢の少年・少女達であった。音楽家達は、サースチャバシュ村のメンバーは20歳前の若手で、それぞれソロの踊りも見せる。プリマス(ジプシー楽団のリーダーである第一ヴァイオリン奏者)のヤコブ・アティラ(ハンガリー式に姓名の順に記載)が率いるバンドの方は、年齢層が高めであった。(もっとも見た目から推察される彼らの年齢と実年齢にはかなり差があることが多いが。)コントラバス奏者は両方のグループに参加していた。

 踊り手のうち、ソロを担うプチ・エルヌーやサント・アティラという20歳前後のメンバーは、歌手としてもソロを歌う。

 メンバー達は、ロマ語の他、ハンガリー語、ルーマニア語に堪能で、その他学校で習った外国語もできるということであったが、彼らの間ではロマ語で、彼らと日本人スタッフとの間ではハンガリー語で会話しているようであった。また、彼らの姓名からもハンガリーの影響が強いことがうかがえた。

 

第一部のプログラム

1 ジェレム・ジェレム    サント・アティラのジェレム・ジェレム

    プチ・エルヌーのジェレム・ジェレム

    マハラ調ジェレム・ジェレム

    チンゲララーシュ

2 サースチャバシュ村の音楽 チャールダーシュ

               チンゲララーシュ

               マハラ

3 マジャール・カフェバー  モンティ・チャールダーシュ

4 チンゲララーシュ     3人の女の子と男の子のチンゲララーシュ

5 ベルブンク        ジプシーのリクルーティング・ダンス

 

 ロマの国歌(民族歌)とされる「ジェレム・ジェレム」のアカペラでの歌唱から始まったプログラムは、厳かな雰囲気から、ロマの舞踊チンゲララーシュの盛り上がりで最初のセクションが終わった。そこで観衆は、ロマの音楽性や舞踊に現れるリズム感や情感に引き込まれることになる。

続くサースチャバシュ村の音楽は、ヴァイオリン奏者二人とヴィオラ奏者一人にコントラバス奏者一人の編成であった。ハンガリーの速いテンポの民族舞踊音楽チャールダーシュの後のチンゲララーシュでは、ヴァイオリン奏者二人とヴィオラ奏者は、一人ずつ楽器をおいてソロの踊りを示した。

マジャール・カフェバーのセクションでは、ヤコブ・アティラ率いるヴァイオリン2、ヴィオラ1、アコーディオン1、コントラバス1のアンサンブルが、ハンガリーの音楽を演奏した。プログラムにあげられているモンティのチャールダーシュの他、ブラームスのハンガリー舞曲なども演奏された。ハンガリー人の集まる飲食店での演奏という設定である。

続くチンゲララーシュは、プチ・(コザック)・エルヌーと三人の少女の掛け合いの踊りである。これは、ストーリー性のあるもので、三人の少女それぞれに言い寄った少年は、結局皆からふられてしまうが、最後に伴奏していたヤコブ・アティラと共に踊り出すという結末である。

第一部最後のベルブンクは、ハンガリー文化圏一帯でよく踊られる徴兵のための男性の踊りで、発生当時からロマが多く参加していたといわれる。勇壮な踊りを、ロマの踊りとしては珍しく男性舞踊手達が群舞でそろって踊る。ドイツ語の宣伝を意味する言葉Werbungから名付けられている。

 

第二部のプログラム

6 ジプシー・パーティ     サイブーグー

                デブラ・デブラ

                チンゲララーシュ

7 リトゥムシュ・ヤーテク   男性のリズムダンス競演

8 ロマン・カフェバー     ルーマニア・ラプソディー(ジプシーバージョン)

                チョカルリア(ひばり)

9 マロシュのチンゲララーシュ フィナーレ

 

 第二部最初のジプシー・パーティでは、ロマが彼ら自身のために楽しむ時の音楽や踊りという設定で、金属製のミルク缶を楽器として打ち鳴らしたりこすったりし、声も楽器のように用いるサイブーグーから始まり、最後は、チンゲララーシュで締める。

 リトゥムシュ・ヤーテクでは、それぞれの踊り手の技術が見せ場を作った。どの踊りをとっても、個人の運動能力の高さ、身体コントロール能力の高さが目立つ。4月1日に仙台市青年文化センターで行われた公演も見たが、一連のプログラムの中で激しい踊りを続け、一ヶ月半ほどの日本ツアーで日本中を毎日のように踊りながらも全く疲れる様子がなく、むしろ成長を感じさせられた。伸び盛りの若い踊り手の底力と可能性を感じた。

 ロマン・カフェバーは、ヤコブ・アティラのアンサンブルが、今度はルーマニア人の集う飲食店で演奏しているという設定である。実際のところ、第一部のマジャール・カフェバーやロマン・カフェバーで演奏された曲は、ハンガリーにせよルーマニアにせよロマ楽団の定番のレパートリーである。チョカルリアでは、ヤコブ・アティラのヴァイオリンとサント・アティラら踊り手2名が口笛で競演した。

 最後は彼らの出身地方のトランシルヴァニアのマロシュ地方の踊りで感動的なフィナーレとなった。彼らの舞踊には即興性があるため、公演によって違った踊りが見られるのも楽しみであった。

 


 シンポジウム二日目は、午前と午後に音楽と舞踊のワークショップがあった。サースチャヴァシュの楽団の伴奏で、参加者は、午前は、サント・アティラを中心とする踊り手からシャルパタク村の踊り方の、午後は、プチ・エルヌーを中心とする踊り手からティルグ・ムレシュ市の踊り方のチンゲララーシュを習った。教える側は男性が多く、習う側は女性が多く、数的にはアンバランスであったが、踊り手から直接ステップが習える貴重な機会であった。同じ曲で基本的ステップが同じであっても、町や村により伝えられている踊りの振りが違うことが実感された。また、参加者の年齢層は広く、日本の民族舞踊人口の裾野の広さも感じられた。

 

 午前のワークショップの終わり頃に重なる時間帯に、「増永哲男ジプシー報告会"ロマフェストのジプシーたち"」が開かれた。増永氏は毎年訪問しているトランシルヴァニアのロマ集落の様子を写真を交えて紹介した。ロマの素晴らしい点(のみ)を紹介するという氏の姿勢もあって、聴衆は、「太く短く生きる」ロマの人生観やライフ・スタイルに憧れをいだいたようである。前日の報告会で早坂氏が紹介したマンホールに住むロマが底辺の暮らしで、関口氏が紹介した大邸宅に住むロマが物質的に最も豊かな暮らしをしているとすると、その間の「普通の」ロマの暮らしが紹介されたといってよいかもしれない。その暮らしぶりは小さな小屋の家に大家族が住み、洗濯物も干しっぱなしといった具合で、貧しいといってよい部類であるが、増永氏の語る彼らの暮らしぶりは生き生きとしており、ロマであることを誇りに思っている様子が感じられる。トランシルヴァニアという古くから多民族的な伝統を持つ空間と、チャウシェスクの独裁時代のルーマニア化政策が、ロマと非ロマの現在の関係にどのように影響しているのか興味深い。増永氏の語るように非ロマがロマに対して相対的に寛容で、両者の共存が実現できているのだとすると、その理由としては歴史的に多民族の存在に慣れていること、ルーマニア化政策に対してハンガリー系とロマ系が共闘したり、共感したりした可能性、スケープゴートとしてのマイノリティを必要とするような社会的不満をかかえていない、などが考えられるであろう。もちろん、このことについては、詳しい検証が必要である。

 

 午後のワークショップの後には、「生音で聴くスーパーマイスター、ヤコブ・アティラ・ライブ」が行われた。コンサート・ホールと違い、間近で聴くヴィルトゥオーゾぶりは素晴らしかった。

 この日最後の「唄と踊りとサイブゥグゥ、サースチャバシュ・ライブ」では、サースチャバシュの楽団だけではなく、ヤコブ・アティラの楽団も参加し、更には和服の津軽三味線奏者、横笛と和太鼓の奏者も加わった。津軽三味線と横笛のハンガリー舞曲は、なかなかの怪演であった。また、踊り手達が和太鼓をたたいてみたり、一般参加者がヴァイオリン奏者として参加したり、ヤコブ・アティラらの演奏でベリーダンスを披露したりもした。最後は、参加者の多くも共に踊った大チンゲララーシュ・パーティとなったが、最後はジェレム・ジェレムを皆で歌って、厳かな中で二日間の全てのプログラムを終了した。

 第一回目の「ジプシー・シンポジウム」として何が起こるか予測できない状況で始まったが、様々な民族舞踊団のワークショップが毎年開かれていることもあって、混乱もなく、無事終了した。ロマの音楽と舞踊という彼らの得意とする文化に直接触れ、自らもそれに参加するという機会は非常に貴重であり、種々の報告により、彼らの歴史・現状などについて紹介されたことは有意義であったと思う。第二回以降のシンポジウムも、このような形式で続けられ、私たちがロマについて知り、ロマ文化を体感する機会が続くことが期待される。